interview

Mj Interview vol.03
「信州ブレイブウォリアーズ」代表 片貝雅彦


Masahiko Katakai Interview 4
衝撃と渡米

運命を変える出合いだからこそ
諦めずに目標を達成させられた

[バスケットボールを通じて信州をもっと元気にする]を掲げる片貝社長の土台となっているひとつはアメリカでの生活だろう。群馬で育ち、渡米を決意させたものとはいったい何だったんだろうか。

「幼少の頃、剣道、野球をして育ってきた自分に、高校1年生の夏、人生で最も衝撃的な出来事が起こりました。1992年、バルセロナ五輪にドリームチーム(バスケットボール男子米国代表)が出場したことです。地元のスポーツショップのTVで流れていた試合映像を、呆然としばらく見入っていたのを今でも覚えています。黒い肌の頭の剥げている選手がなんかスゴイ…。甲子園出場を夢見てバットを振っていた自分が、気付いたときにはバスケ部に入部していました。

 入部して間もない夏合宿の夕食時に、NBAに詳しい先輩が当時のマイケル・ジョーダンのビデオを見せてくれました。そこで初めて、スーパースターの存在を特定でき、それ以降は、夢中になってジョーダンの情報を集めました。限られたリソースのなかで特に情報量が多く、内容が面白かったメディアがスポーツの総合雑誌『Number』。当時は、ほぼ毎号、表紙と特集がジョーダンで、楽しみに図書館に通っていました。また、近所の同級生の家がBS衛星放送を受信しており、シカゴ・ブルスの試合中継がある度に、空のVHSテープを持っていって録画してもらいました。擦り切れるほど何度も見返したテープは今も保管しています。雑誌『Number』の影響で、スポーツジャーナリストという職業を知り、将来はバスケを題材に全米で取材や執筆活動を夢見ました。その後、バスケットボールの本場アメリカ合衆国に対する憧れと好奇心から留学を決意。行ったらどうにかなるだろうという勢いでした」

進学した大学はジャーナリズムを学ぶ大学として全米に名を轟かすネバダ大学リノ校。どんなことを学び、何を目指したのか。

「私は、小中高と全くといっていいほど学問に興味が湧かず、また、明確な目標もなかったので勉強をせず、英語もチンプンカンプンでした。最初の二年間はカリフォルニア州サンタモニカにある短大に通い、一般教養学部の授業を受けました。この短大での2年間はそれまでの12年間のツケをチャラにするどころかお釣りがくるぐらいに、勉強に専念し、英語のみの授業にもなんとかついていけるよう毎日最低5時間はアパートで自主学習しました。その甲斐あって短大の卒業式では、成績上位者として表彰され、隣の州にある4年制のネバダ大学リノ校に3年次から編入することができたのです。ネバダ大学を選んだ理由は、同校のジャーナリズム学科が全米で1、2を争う名門で、アメリカ合衆国における新聞、雑誌、オンライン上の報道、文学、作曲の功績に対して授与される賞[ピューリッツァー賞]の受賞者を多数輩出しているからでした。アメリカの大学は入学よりも卒業が難しいとよく言われますが、まさにこの2年間は地獄でした。短大で2年間勉強した程度の英語では、ネイティブスピーカーに比べて相当なハンデがあるのは論じるまでもなく、名門校に集まった学生たちは文才に長け、授業では教授が容赦なく聖書やシェイクスピアを題材に難問を投げかけてきます。毎日の授業が苦痛でしたが、それでも自分の大学のバスケやアメリカンフットボール部のゲームを観戦して現場堪を養い、コーチ・選手への取材や試合中の写真撮影をする実践の経験も積めたので、やりがいとやる気を継続させ、何とか2年間で学位を取得することができました」

続く・・・

Masahiko Katakai Interview 5
スポーツビジネスの原

Masahiko Katakai Profile
1978年生まれ、群馬県高崎市出身。米国ネバダ大学リノ校卒。
2004年から米国バスケットボール独立リーグABAのクラブ「ハーレムリバイバル」創設運営スタッフとして勤務。2008年に帰国し、旧プロリーグ ㈱日本プロバスケットボールリーグ「bjリーグ」に入社。2010年に株式会社信州スポーツスピリットの経営統括責任者に就任する。2011年にプロバスケットボールチーム「信州ブレイブウォリアーズ」をbjリーグに参戦させ、2012年に同社代表取締役社長に就任し、現在に至る。2016年の男子プロバスケットボール新リーグ「Bリーグ」誕生に伴い、ウォリアーズをB2(2部)中地区に参戦させ、自身は公益社団法人ジャパンプロバスケットボールリーグ「Bリーグ」理事に就任する(2019年9月退任)。翌2017年には一般社団法人信州スポーツアカデミーを設立し、代表理事に。一般社団法人長野県バスケットボール協会でも理事となる。2019年 4月、Bリーグ参戦後初となるB2中地区優勝。2019年 5月、クラブ創設初となるB2リーグ優勝を果たす。さらに2020年 4月、Bリーグ参戦4季目で2季連続の中地区優勝、最終順位リーグ1位となり、クラブ史上初めてB1ライセンスが交付され、来季2020-21シーズンのB1昇格が決定。
今季10周年目を迎えるウォリアーズは、日本一のバスケットボールクラブを目指し地域愛着活動を続けており、その先頭で陣頭指揮をとっている。

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